Kanomaの備忘録

日々を紡ぐ

2.後悔

行動の先には必ず結果がある。

それが良いものであれ悪いものであれ確かに存在してしまうのが結果である。

良かれと思って行動しても裏目に出ることは多い。

自分の思い描く通りに順調に物事が運んでいくことは滅多にない。

結果というのはほとんどの場合後悔に繋がることが多いのは仕方がないのかもしれない。

 

なぜこんなことを言い出したのかというと私は数字に負けたのである。

7の付く日、グランドオープン、スマスロ導入初日、全てが重なったこのタイミングしかないと踏んだのだが

 

勘違いだったのだ。

 

私の懐にあった35000円と銀行口座に入っていた15000円はいつのまにか姿を消していた。

私に残ったのは微かに漂う誰かが吸ったタバコの臭いと空っぽになった緑色の羊の皮財布。

そして深い絶望である。

今月どうやって暮らしていけばいいのだろうかという現実的な恐怖。

さらには両親が骨身を削って仕送り、祖父母が僅かな年金から捻出してくれたお小遣いをドブに捨ててしまったという申し訳なさである。

自分で文字を打っているスマホを放り投げたくなるほどの自らの愚行を書き連ねた。

私は最低である。

そんなことはわかってはいたが、改めて私は最低な人間だ。

しかしもう1人の私が囁くのだ。

 

これは結果論だと。

 

もし仮に金が増えていたとしたらお前はどう考えているだろうか?と。

増える可能性に賭けただけだろう?

仕方なかったんだよ、と。

 

ただ現実にみんなの想いが詰まったお金は消えた。全て。

 

何度も何度も私は強い意志を持ってパチンコを引退しては、1ヶ月後ちょっと余った生活費を握りしめフラッと立ち寄ったパチンコ屋でそこそこの勝ちを得て、なんだパチンコなんて楽勝じゃないかとそこで勝った金では飽き足らず更に己の生活費を投入し、考えられないくらい負けて引退を決意するというループを繰り返してきた。

 

ここで終止符を打とう。

パチンコ玉を打つのではない。

パチンコをしようとする弱い自分に終止符を打つのだ。

 

結局のところ私はバイトをしないで楽に金を増やす方法としてのパチンコを愛しているのである。

パチンコ自体は好きではないのだ。

己でこの文を書いてハッとした。

なるほど、私の歪んだパチンコへの執着はそんなところから来ていたのか。

ならバイトをすればいいのである。

私はそのバイトですらパチンコを打つために無断欠勤をし、クビになったことがある。

クズにもほどがある。

決めた。

バイトをしよう。

髪型が自由なバイトを探そう。

私は現在金髪である。

できるバイトは限られてしまうかもしれないが一生懸命頑張ろう。

ここに誓う。

 

後悔をしてもいい。

要はその後にどう行動するか。

それが1番大切なのだ。

ベタかもしれないが後悔してしまった人間はこうする他ない。

私はまた明日に向かって歩き出さなければならない。

失った善意の塊は戻ってはこない。

それを胸に刻みつけろ。

 

もう後悔はしたくないんだ。